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2007年5月27日 - 2007年6月2日の記事

2007年5月28日 (月)

Boys, be ambitious

クラーク博士の諸説。

実は、クラーク博士の話は、私なりの説となっています。(偉そうに・・・笑)

クラーク博士が北海道を離れた、17年後に関係者から話を聞き取った安東幾三郎が札幌農学校学芸会雑誌に寄せた文が諸説の最有力となっています。

また、舞台となった島松駅逓ですが、古い資料では「島松駅頭」で別れたことになっています。

実は、駅逓は違うものです。

ただ、どちらも中山久蔵が実質管理していたのですが・・・。
(中山久蔵が正式に駅逓の管理を任されたのは、その7年後)

昭和25年に、見送った教え子のひとり宮部金吾が「ここで別れた」と証言したことに基づいて、島松駅逓付近となりましたが、宮部が証言した時、恵庭側の駅逓と駅はすでに取り壊されて無く、中山邸のみが島松駅逓として残っていました。

そのために当時90歳の宮部が場所を間違えたといわれています。

表ブログでは、諸説に基づき島松駅逓ではなく「中山邸」で別れた説としました。

どちらにしても、「Boys, be ambitious(青年よ、大志を抱け)と語られていますが、正確には「青年よ、この老人のように大志を抱け」だったのは事実です。

「学生が明るい時間のうちに札幌に帰るには」部分は、理由つけのための私の創作になります。

もしかすると、最初っから島松までという約束だったかもしれません。

ただ、私は寒地稲作に取り組んでいた中山久蔵の様子を、最後に子供たちに見せたかったのだと思います。
(そのほうがロマンがあるでしょう)

ただ、その説には、ひとつ問題があります。

クラークと中山久蔵は対立する考えを持っていたのです。

クラークは、北海道で米作はできないと主張。
カレーライス以外の米食を禁じたほどです。

中山は、北海道で稲作を行おうと努力していたときです。

で、あるならば・・・。

「青年よ、この老人のように大志を抱け」

「この老人」クラーク自身を表していると言われてますが、私は中山久蔵をさして言ったと思うのですが・・・。
クラークと中山は当時50代、年齢は2才違いです。

(こんな説を発表したら批判の嵐になりそうです・・・笑)

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